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2024年4月から介護報酬制度が改定され、介護ロボットやICT機器などテクノロジー活用促進を推奨する「生産性向上推進加算(I)(II)」が新設された。介護ロボットの導入やICT化は人手不足が進む介護業界において大きな期待が寄せられているが、加算算定には「利用者の安全、サービスの質、職員の負担軽減に向けた委員会の設置」「業務改善の成果に関するデータ提出」などが求められ、6月時点での同加算取得率(速報値)は特別養護老人ホームで加算(I)4.0%、加算(II)21.1%にとどまっている。※1
そのような状況の中、富山県南部に位置する「社会福祉法人おおさわの福祉会 特別養護老人ホームささづ苑」(以下、ささづ苑)では、従来から積極的にDX・ICT化を進め、加算(I)を取得した。介護業界におけるICT化や介護ロボットの導入はどのような効果をもたらすのか。ささづ苑理事長・岩井広行氏に、具体的な取り組み、ICT化による現場の変化やオペレーション改善などについて聞いた。
(写真:ささづ苑理事長・岩井広行氏)
介護職員の腰痛対策から始まった介護ロボットの導入とICT機器の導入
――労働人口減少が社会課題となる中で、介護業界においても人手不足は切迫した課題といえます。特に、ささづ苑は人口の少ない山あいの地域に位置し、過去には職員が集まりにくい時期もあったとうかがっています。DX・ICT化は、これらの課題解消のために取り組んだのでしょうか。
岩井広行理事長(以下同)「もともとDXを推進していたわけではなく、当初の動機は現場の職員に頻発する腰痛問題の改善でした。腰痛を理由にした当日休務や退職が散見されたため、十分な人員確保のために職員の腰痛予防を図る設備投資に取り組む必要があると考え、2010年ごろから移乗用リフトや介護ロボットなどの使用検討を始めました。2012年には介護ロボットではありませんが、移乗用リフトを5台導入しています。」
――DX化にあたっては、まずはどの業務から着手したのでしょうか。
「2010年に社内LANシステムを整備し、グループウェアを利用して社内コミュニケーションの改善を図りました。従来、書類や口頭で実施していた施設長から全体への通達や職員間の連絡、議事録やカンファレンス記録の回付などをオンラインで行うことで、いつでも職員が最新かつ正確な情報にアクセスできるようになり、効率的な情報共有を実現しています。」
――介護ロボットなどの導入とDX化が同時進行で進んできたのですね。
「そうですね。腰痛以外の職員の困りごともICT化やDXによって改善できる可能性を感じ、より安全で効率的な介護サービスを目指して、2019年には本格的にDX・ICT化推進に取り組み始めました。2021年には、全国老人福祉施設協議会のICT導入モデル事業施設として採択されています。これら施策の積み重ねが自然と生産性向上推進体制加算要件(I)のクリアにつながっていました。」
(車いす~ベッド~トイレ間の移動・移乗に使用される「Hug」。その名のとおり、利用者がハグするかのように両腕でロボットにつかまると、介助者のリモコン操作で本体が上昇し、利用者の体勢を前傾にする。利用者の身体を前傾姿勢で支えた状態のまま本体を目的の場所まで介助者が移動させたのち、本体を下降させ移乗が完了する。本体にはキャスターが付いており、被介護者を乗せたままわずかな力で安全な移動が可能。)
――見守りシステム「パラマウントベッド 眠りSCAN」についても教えてください。
「『眠りSCAN』は、夜勤スタッフの負荷軽減のために2019年に導入しました。かつては深夜に2回、全ての居室を巡回して入居者の状態をチェックしていましたが、『眠りSCAN』はベッドとマットレスの間にシートを敷くだけで入居者体動、呼吸、脈拍などを検出し、睡眠状態を判定します。計測データはリアルタイムでモニタリングできますので、深夜巡回を減らしつつ、より適切なケアが行えます。導入時は10台からスタートしましたが、現在は全床(2024 年5月末時点で118台)で利用しています。 取得データを分析することで、より質の高い介護サービスの提供が可能です。例えば90代の男性入居者は、『眠りSCAN』の実施によって夜間の1日平均睡眠時間が1時間59分、400分ほど中途覚醒していることが確認されました。そのため日中の離床促進や栄養状態の見直しを図り、8週間ほどで睡眠平均時間7時間03分、中途覚醒時間283分までに改善。日中の活動量も増え、QOLが向上したように見受けられます。」
(入居者用ベッドのマットレスの下に設置されている「眠りSCAN」。介護者は別の部屋にいながら、入居者の覚醒、起きあがり、離床などを確認できる。離床や入眠など入居者の状態が色別に表示されるので、一目で状況を確認できる)
――職員を悩ませる勤務シフトの作成も、専用ソフトを使用しているそうですね。
「勤務表作成ソフトウェアを2019年に導入しました。これまでは各職員が紙で休日希望日を提出し、リーダーが表計算ソフトに打ち込み、職員の希望に沿った勤務シフトを作成してプリントするといったアナログの手法を採っていましたが、ソフト導入によって作業が大幅に効率化されています。現在は職員が各自オンラインで希望シフトを提出すれば、各自の希望を反映させ、さらに『新人のみで夜勤を行わない』など細かい条件設定も踏まえたシフト原案が自動作成されます。シフト共有もオンラインでスムーズになり、さらに勤務実績が記録されるため、給与計算や労務管理と連動させることで管理部の業務効率化にもつながっています。」
――介護職員のみなさんはインカムをつけていらっしゃいますが、これはどのように活用されていますか?
(介護職員は骨伝導インカムをつけているので、簡単な洗い物など別作業をしながら介護記録の入力も可能)
「リアルタイムで職員同士が情報共有を図るために、2020年にトランシーバータイプのインカムを導入しました。職員の現状把握には有効でしたが、有線イヤホンが作業の妨げになるという意見が上がり、今は利便性の高い骨伝導インカムに切り替えています。さらに骨伝導インカムと音声入力システム、介護業務支援ソフトを連携させ、音声による遠隔からの介護記録入力を実現しました。
介護記録は現場の職員にとって大きな時間と労力を要する業務の一つ。記録入力のために事務所に移動してパソコンの前に座る必要がありましたが、現在はちょっとした洗い物や片付けをしながら合間に口頭で音声入力することで、1日当たりの記録作成時間が33分から17分に軽減されています。また、音声入力システム導入から2カ月で記録量は6,713字から13,162字と約2倍に増加し、より細やかな記録が可能になりました。加えて記録漏れの発生もほとんど抑えられています。 さらにインカムの録音機能を活用することで、従来シフト交代時に口頭で実施されていたいわゆる『申し送り』も廃止され、業務効率を向上させています。」
――2019年に本格的なDX・ICT化推進に着手してから現在までの費用についても教えてください。
「ささづ苑では、約100人の正社員にひとり1台PCやスマートフォンを支給しています。そういったデバイスも含めると、2019年からの4年間、概算で3,500万円程度予算を投入しています。このうち56%、約2,000万円は厚生労働省や自治体などからの補助金・助成金を活用しています。」
生産性向上推進体制加算要件を満たすデータ取得と委員会の設置
――介護報酬制度が2024年4月に改訂され、生産性向上を推進する取り組みに対しては新たな報酬加算が設定されました。「テクノロジー機器の導入」「ICT推進運営委員会の設置」「業務改善の成果に関するデータ提出」といった複数の要件を満たす必要があり、一見ハードルは高いように見えますが、どのような対策をされているのでしょうか。
「個人的には、決して高いハードルではないと考えています。『現場は今、何に一番困っているの?』と意見を聞いて、解決するためにICT機器やロボットを活用すれば、自然と生産性も上がります。成果データもそれほど難しいことではないと考えています。」
――要件のひとつに「利用者の安全、サービスの質、職員の負担軽減に向けた委員会の設置」が必要とされていますが、ささづ苑ではどのように運営されていますか?
「ささづ苑では、2021年から各所属長が委員を務める『ICT推進委員会』を設置しています。同委員会では毎月現場からのフィードバックや新たな提案を受け、よりスムーズなICT化のための意見交換がなされています。最近もICT機器が増加したため、QRコードを貼付する管理システムを整備したり、デイサービスセンターで使用している送迎システムの切り替えを実施したりと有効に機能していると思います。」
――委員会にはITへの関心が強い専門の職員を任命しているのでしょうか?
「いえ、そんなことはありません。わからないなりに自分で調べたり、ITベンダーの担当者の方に教えてもらったりと個々人で知識をアップデートしているようです。自分の提案がすぐに実現して、現場からポジティブな声を聞けることにやり甲斐を感じ、楽しんでいるようです。」
生産性向上の取り組みがブランディングに
「最先端の介護」が人材確保にも作用
――DX、ICT化のメリットとしてはどのようなことが挙げられますか?
「実は、採用や定着化など人材確保に有利に働く可能性が高いと考えています。近年は毎年新卒採用を行っていますが、聞いてみると、同じ介護をするのであれば最先端の機器を備えた施設で働きたいという若者は多い。富山県では、ささづ苑は数少ない生産性向上加算(I)取得施設です。『少々通勤時間が長くなっても、ここで働きたいんだ』と言ってくれる職員も多いですね。」
(ささづ苑理事長・岩井広行氏)
――以前から勤める職員は、DX・ICT化推進をどのように捉えているのでしょうか。
「既存職員に対してアンケートを取ったところ、63%の職員が業務が改善したと回答しました。実際に業務が楽になった、入居者に良いサービスを提供できるようになった、という実感を職員に持ってもらえないと、DX・ICT化は定着しないと思っています。 DX化というと、一部の職員が取り残されるようなイメージを持たれる方もいるかもしれませんが、先ほど挙げた介護記録の音声入力は、50代から60代の女性が強力な推進役になりました。キーボード操作に不慣れな職員にとって、話したことがそのまま記録される音声入力は非常に利便性が高い。そこでキーボードで入力している若い職員を見ると、『音声入力の方が早いし楽だよ』と積極的に推進してくれました。」
――現場の職員が使いやすいと思えるツールが浸透しやすいということですね。
「職員もそのほうが楽しいのだと思います。ICT化推進によって、今まで負荷がかかっていた介護以外の業務が軽減され、入居者の方への細やかなケアが可能になり、さらに自主的に業務に取り組むことで生産性も向上する好循環が生まれればいいなと考えています。 ささづ苑のポリシーは『Do&Think』です。これは順番が大事で、『Think& Do』ではなく、『Do(やる)』が先。ICT化推進に限らず、良さそうだなと思ったらまずやってみよう、と全ての職員に声を掛けています。やってみてうまくいかなかったとしても元に戻るだけです。個人のアイデアを汲み取り、形になるようまとめるのは現場のリーダーや私たち経営層の仕事。その成果が職員の成功体験になり、仕事への活力、モチベーションアップにつながれば、結果的に法人全体のレベルアップになると考えています。」
――職員の生産性向上のために、他に実施していることはありますか?
「ささづ苑では、20年ほど前から介護助手を採用し、役割分担を明確にしています。まだ『介護助手』という名称も定着していない時代からの取り組みで、介護助手に掃除や洗濯、シーツ交換などを担当してもらうことで、介護職員はできるだけ本来のケア業務に時間を割くことができるように努めています。」
介護ロボットやICT化は介護レベルの底上げに寄与する
――DXや介護ロボットなどICT化の推進によって、介護はこの先どのように変化していくのでしょうか。
「現在の介護業務は、職員の経験と技量に左右される、いわば職人的な側面があります。ケア技術に関しても属人的な部分が残っていて、人手不足や技術レベルのばらつきにつながっています。もちろん人が行う以上、スキルの高低差は生まれますが、介護ロボットやAIの活用によって、誰でも一定のケアが受けられるようになり、介護のレベルの底上げにつながればいいなと思いますし、おそらくそのような社会になっていくのではないでしょうか。」
――ささづ苑では若いスタッフも多く働いていて、かつ職員の自主性も育まれる好循環が生まれているように見えますが、ICT化推進が有効に機能していることが関連していますか?
「その通りだと思います。実際、ささづ苑の職員が一番生き生きしていると感じます。私自身も職員も、介護はもっと楽しく楽にできる余地がまだまだあると考えています。」
<おわり>